ベトナム旅行(9)~ クチトンネル
2010年 10月 18日
サイゴン一日観光をやった翌日は、また同じ旅行会社が催しているクチトンネルツアーに参加した。クチトンネルはベトナム戦争時代にベトコンが拠点とした、総延長200kmに及ぶ地下トンネルだ。クチはサイゴンから北西に50kmほどのところにあり、当日はボートに乗ってサイゴン川を遡り、クチトンネルまで移動した。

クチトンネルは今では観光客向けの場所として整備されている。ガイドにつれられて入場した。最初の見所はトンネルの小さな入り口。ここの職員とおぼしき人が、観光客向けにトンネルに入る実演をやっている。





この中は、小さなトンネルがどこかに向かって続いていた。

ジャングルの所々に小さな土塊があって、そこに小さな空気穴があいている。こんな小さな穴で大丈夫なのかと思うほど。

ジャングルやトンネルの中には、随所に罠が仕掛けられていたという。罠の鋭い針には毒が塗られ、罠にかかった南ベトナム兵や米兵はわずかな時間で死に至ったのだそうだ。模型を見てもぞっとする。

このクチトンネルのコースの中程に、実弾射撃をやれる場所がある。やるかどうか迷った。といっても、銃を撃つこと自体に興味があった訳ではない。もとより人を殺すための道具を面白いと思う趣味は持ち合わせていない。ただ、平凡で貧しいベトナム農民が、南ベトナム兵として、あるいはベトコンとして、銃を持ったときにどんな気持ちになったのだろうかと、そこが気になったからだ。
でも僕は結局撃たなかった。臆病で撃てなかった。
ベトコンは食料としてタピオカという芋を栽培していたという。普通のジャガイモよりも育つのがはやいのが特徴なのだそうだ。コースの後半で、このタピオカを蒸したものとお茶で休憩する場所があった。タピオカはサツマイモのような甘味のある芋でおいしかった。ただ、ベトコンのようにこの芋を毎日毎日、何年にもわたって食べ続けるとなると話は全く別だ。
コースの最後には、実際に地下トンネルに入ってみることのできる場所があった。観光客用にトンネルを太くしており、罠などもないただの道。全長80メートルほどで、10メートルごとに出口がある。ここに入ってみたけれど、これは僕の想像を遥かに超えていた。
トンネルは非常に狭かった。立って歩くことはもちろん無理で、しゃがんだ状態ですり足で進む。穴の中は蒸し暑く、その狭さと相俟って異様な圧迫感を感じる。僕は10メートル進んだだけで我慢し切れずに外に出た。こんなトンネルの中で道に迷ったら僕は間違いなくパニックになるだろうし、ここに1時間入っているだけでも気が狂いそうだった。
戦争当時は穴はもっと狭く、ベトコンは這って移動したという。今のようにランプの明かりがあるわけでもなく、内部には罠も多く仕掛けられていた。そしてそんな場所で、実際に多数のベトナム人が何年も生活していたのだ。
この10メートルのトンネルをきっかけに、僕は深く考え込んでしまった。こんな気の狂いそうなトンネルで「生活」するというのはどう考えても正常なことではない。何がベトナム人をこのトンネルへと駆り立てたのか。どうして彼らはこんな恐ろしいトンネルを、200キロに達するまで掘り進めたのか。
政治思想や情熱といった程度のものでは、あのトンネルの圧迫感には長くは耐えられないと僕は思う。極貧の生活の末に米兵に故郷や家族を奪われた憎悪や絶望、そういった悲劇に基づく極限の感情だけがあのトンネル生活を可能とするように僕には思える。平和ボケした僕にも、戦争の何たるかについて、その一端が垣間見えた気がした。
このクチトンネルは広大な系をなしていて、中には厨房や寝室、トイレ、武器工房まであったらしい。アメリカが最先端の技術を駆使した兵器で戦った相手は、ジャングルの中で知恵の限りを絞って狡猾にトンネルを掘り、罠を仕掛け、ゲリラ攻撃でアメリカ軍を苦しめた。実際にこの蒸し暑いジャングルの中で、どこにあるか分からない罠におびえながら、どこにいるか分からない敵、地下トンネルを伝ってどこからでも現れる敵と戦わねばならなかった米兵も悲惨である。もういやだ、というのが僕の正直な感想だった。

翌日、バンコクへ飛んで僕の初ベトナム旅行は終了した。この国には、また必ず戻ってこよう。

クチトンネルは今では観光客向けの場所として整備されている。ガイドにつれられて入場した。最初の見所はトンネルの小さな入り口。ここの職員とおぼしき人が、観光客向けにトンネルに入る実演をやっている。





この中は、小さなトンネルがどこかに向かって続いていた。

ジャングルの所々に小さな土塊があって、そこに小さな空気穴があいている。こんな小さな穴で大丈夫なのかと思うほど。

ジャングルやトンネルの中には、随所に罠が仕掛けられていたという。罠の鋭い針には毒が塗られ、罠にかかった南ベトナム兵や米兵はわずかな時間で死に至ったのだそうだ。模型を見てもぞっとする。

このクチトンネルのコースの中程に、実弾射撃をやれる場所がある。やるかどうか迷った。といっても、銃を撃つこと自体に興味があった訳ではない。もとより人を殺すための道具を面白いと思う趣味は持ち合わせていない。ただ、平凡で貧しいベトナム農民が、南ベトナム兵として、あるいはベトコンとして、銃を持ったときにどんな気持ちになったのだろうかと、そこが気になったからだ。
でも僕は結局撃たなかった。臆病で撃てなかった。
ベトコンは食料としてタピオカという芋を栽培していたという。普通のジャガイモよりも育つのがはやいのが特徴なのだそうだ。コースの後半で、このタピオカを蒸したものとお茶で休憩する場所があった。タピオカはサツマイモのような甘味のある芋でおいしかった。ただ、ベトコンのようにこの芋を毎日毎日、何年にもわたって食べ続けるとなると話は全く別だ。
コースの最後には、実際に地下トンネルに入ってみることのできる場所があった。観光客用にトンネルを太くしており、罠などもないただの道。全長80メートルほどで、10メートルごとに出口がある。ここに入ってみたけれど、これは僕の想像を遥かに超えていた。
トンネルは非常に狭かった。立って歩くことはもちろん無理で、しゃがんだ状態ですり足で進む。穴の中は蒸し暑く、その狭さと相俟って異様な圧迫感を感じる。僕は10メートル進んだだけで我慢し切れずに外に出た。こんなトンネルの中で道に迷ったら僕は間違いなくパニックになるだろうし、ここに1時間入っているだけでも気が狂いそうだった。
戦争当時は穴はもっと狭く、ベトコンは這って移動したという。今のようにランプの明かりがあるわけでもなく、内部には罠も多く仕掛けられていた。そしてそんな場所で、実際に多数のベトナム人が何年も生活していたのだ。
この10メートルのトンネルをきっかけに、僕は深く考え込んでしまった。こんな気の狂いそうなトンネルで「生活」するというのはどう考えても正常なことではない。何がベトナム人をこのトンネルへと駆り立てたのか。どうして彼らはこんな恐ろしいトンネルを、200キロに達するまで掘り進めたのか。
政治思想や情熱といった程度のものでは、あのトンネルの圧迫感には長くは耐えられないと僕は思う。極貧の生活の末に米兵に故郷や家族を奪われた憎悪や絶望、そういった悲劇に基づく極限の感情だけがあのトンネル生活を可能とするように僕には思える。平和ボケした僕にも、戦争の何たるかについて、その一端が垣間見えた気がした。
このクチトンネルは広大な系をなしていて、中には厨房や寝室、トイレ、武器工房まであったらしい。アメリカが最先端の技術を駆使した兵器で戦った相手は、ジャングルの中で知恵の限りを絞って狡猾にトンネルを掘り、罠を仕掛け、ゲリラ攻撃でアメリカ軍を苦しめた。実際にこの蒸し暑いジャングルの中で、どこにあるか分からない罠におびえながら、どこにいるか分からない敵、地下トンネルを伝ってどこからでも現れる敵と戦わねばならなかった米兵も悲惨である。もういやだ、というのが僕の正直な感想だった。

翌日、バンコクへ飛んで僕の初ベトナム旅行は終了した。この国には、また必ず戻ってこよう。
# by asirope3 | 2010-10-18 03:01 | ベトナム














































































