Asia+Europeで"Asirope". 2006年から2007年にかけてアジアを放浪した筆者が,こんどはヨーロッパでの生活を記録する日記です。


by Asirope3
 サイゴン一日観光をやった翌日は、また同じ旅行会社が催しているクチトンネルツアーに参加した。クチトンネルはベトナム戦争時代にベトコンが拠点とした、総延長200kmに及ぶ地下トンネルだ。クチはサイゴンから北西に50kmほどのところにあり、当日はボートに乗ってサイゴン川を遡り、クチトンネルまで移動した。
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 クチトンネルは今では観光客向けの場所として整備されている。ガイドにつれられて入場した。最初の見所はトンネルの小さな入り口。ここの職員とおぼしき人が、観光客向けにトンネルに入る実演をやっている。
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 この中は、小さなトンネルがどこかに向かって続いていた。
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 ジャングルの所々に小さな土塊があって、そこに小さな空気穴があいている。こんな小さな穴で大丈夫なのかと思うほど。
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 ジャングルやトンネルの中には、随所に罠が仕掛けられていたという。罠の鋭い針には毒が塗られ、罠にかかった南ベトナム兵や米兵はわずかな時間で死に至ったのだそうだ。模型を見てもぞっとする。
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 このクチトンネルのコースの中程に、実弾射撃をやれる場所がある。やるかどうか迷った。といっても、銃を撃つこと自体に興味があった訳ではない。もとより人を殺すための道具を面白いと思う趣味は持ち合わせていない。ただ、平凡で貧しいベトナム農民が、南ベトナム兵として、あるいはベトコンとして、銃を持ったときにどんな気持ちになったのだろうかと、そこが気になったからだ。
 でも僕は結局撃たなかった。臆病で撃てなかった。

 ベトコンは食料としてタピオカという芋を栽培していたという。普通のジャガイモよりも育つのがはやいのが特徴なのだそうだ。コースの後半で、このタピオカを蒸したものとお茶で休憩する場所があった。タピオカはサツマイモのような甘味のある芋でおいしかった。ただ、ベトコンのようにこの芋を毎日毎日、何年にもわたって食べ続けるとなると話は全く別だ。

 コースの最後には、実際に地下トンネルに入ってみることのできる場所があった。観光客用にトンネルを太くしており、罠などもないただの道。全長80メートルほどで、10メートルごとに出口がある。ここに入ってみたけれど、これは僕の想像を遥かに超えていた。
 トンネルは非常に狭かった。立って歩くことはもちろん無理で、しゃがんだ状態ですり足で進む。穴の中は蒸し暑く、その狭さと相俟って異様な圧迫感を感じる。僕は10メートル進んだだけで我慢し切れずに外に出た。こんなトンネルの中で道に迷ったら僕は間違いなくパニックになるだろうし、ここに1時間入っているだけでも気が狂いそうだった。
 戦争当時は穴はもっと狭く、ベトコンは這って移動したという。今のようにランプの明かりがあるわけでもなく、内部には罠も多く仕掛けられていた。そしてそんな場所で、実際に多数のベトナム人が何年も生活していたのだ。

 この10メートルのトンネルをきっかけに、僕は深く考え込んでしまった。こんな気の狂いそうなトンネルで「生活」するというのはどう考えても正常なことではない。何がベトナム人をこのトンネルへと駆り立てたのか。どうして彼らはこんな恐ろしいトンネルを、200キロに達するまで掘り進めたのか。
 政治思想や情熱といった程度のものでは、あのトンネルの圧迫感には長くは耐えられないと僕は思う。極貧の生活の末に米兵に故郷や家族を奪われた憎悪や絶望、そういった悲劇に基づく極限の感情だけがあのトンネル生活を可能とするように僕には思える。平和ボケした僕にも、戦争の何たるかについて、その一端が垣間見えた気がした。

 このクチトンネルは広大な系をなしていて、中には厨房や寝室、トイレ、武器工房まであったらしい。アメリカが最先端の技術を駆使した兵器で戦った相手は、ジャングルの中で知恵の限りを絞って狡猾にトンネルを掘り、罠を仕掛け、ゲリラ攻撃でアメリカ軍を苦しめた。実際にこの蒸し暑いジャングルの中で、どこにあるか分からない罠におびえながら、どこにいるか分からない敵、地下トンネルを伝ってどこからでも現れる敵と戦わねばならなかった米兵も悲惨である。もういやだ、というのが僕の正直な感想だった。
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 翌日、バンコクへ飛んで僕の初ベトナム旅行は終了した。この国には、また必ず戻ってこよう。
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# by asirope3 | 2010-10-18 03:01 | ベトナム
 メコンデルタからサイゴンに戻り、カメラを持って宿の周辺を歩き回ったりしていたけれど、このまま放っておくと残り数日のサイゴン滞在中はずっとそればかりで終わるのではないか、と自分の怠け者ぶりに危機感を覚えて、宿の人が教えてくれた、サイゴンの旅行代理店主催のサイゴン一日ツアーに参加することにした。これならバスに乗っているだけで、市内の見所はだいたい回ってくれるので楽だ。

 朝8時半頃に指定の場所でバンに乗る。参加者は12人ほど。参加者はフィリピン人が一番多く、他にインドネシア人、カンボジア人、オーストラリア人、南アフリカ人。日本人は僕一人。このときに限らず、今回のベトナム旅行で日本人を見かけることがほとんどない。日本人の若者が海外旅行をしなくなったという話を最近よく耳にするけど、実際に僕も日本人旅行者がずいぶん減ったと思う。
 少し話が脱線するけど、最近の若い人は、わざわざリスクのある海外旅行なんかに自分で行かなくても、マスコミや特にネットで情報は手に入る、という考え方をしているという話を聞いた。これが本当だとすると、こんなに残念な話はない。マスコミにしろネット(このブログを含む)にしろ、誰かが編集したものだ。他人のフィルターがかかった情報と、現地で実際に自分の目で見るものは全く違う。同じ場所にいても人によって見るものは違うし、同じものを見ても人によって見方は違う。世の中それほど単純ではないし、単純ではないから面白い。

 明るいガイドのおかげで和気あいあいとした雰囲気のバンは、最初の目的地である戦争証跡博物館へ。ここではベトナム戦争中、米軍がどれほどひどいことをしたか、ということが執拗に写真と展示物で説明される。ベトナム戦争中に米軍がひどいことをしたことには異存はないけれど、説明が一方的なので嫌気がさした。北ベトナム軍だって南ベトナム人を殺したり拷問したりしているし、また何がしかの自由を求めて北ベトナムから南ベトナムに逃亡した人だっていたのだ。一方的にどちらかだけが悪い戦争というのはないだろうと思うし、恐らくほとんど(すべてかもしれない)の場合、戦争というのは政治家あるいは権力者の犯す最大の誤りであろう。

 ここを見終わってバンに乗り込むと、一斉に物売りが集まってくる。このたくましさは東南アジアの中でも際立っている。
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 次の目的地はチャイナタウン。サイゴンに来て最初に行ったチョロンのことだ。ここではティェンホウ寺院(天后宮)とビンタイ市場を見る。天后宮は南中国式の寺院。一応仏教寺院だと思うけれど、日本式の仏教寺院とはだいぶ違う。以前に香港でみた寺院とよく似ていた。ガイドに聞いてみると、やはり南中国から渡ってきた華僑が建てた寺院なのだそうだ。最初は難民に近い形でやってきた華僑たちは、竹でこの寺院を建てたという。現在のような立派な姿になったのは20世紀に入ってからなのだそうだ。
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 次はビンタイ市場。ここは前にも来たけれど、今回はここで少し時間があったので、また写真を撮って回る。やっぱり市場はエネルギーに満ちていて面白い。
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 このあとは昼食を採って、統一会堂へ。かつての南ベトナム大統領官邸だった場所。
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 このあたりから、暑さで疲れが出てきたけれど、1975年4月30日のサイゴン陥落時、ここへ戦車がなだれ込んで制圧された際の写真の展示などは非常に興味深かった。
 きれいなアオザイを着た人たちがいたので写真を撮らせてもらった。
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 続いては手工芸工房。この工房はベトナム戦争で体にハンデを負った人々に働く場を提供する目的で設立されたという。今も車いすや義足の人々、あるいは枯れ葉剤の影響を受けた人々が働いている。ベトナム戦争は、この国ではまだ歴史ではなく現実として残っている。
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 最後はノートルダム寺院と中央郵便局。この二つは向かい合わせに建っている。このころには疲れと雨でこちらのやる気も続かず、たださっさと見て回っただけ。盛りだくさんなツアーだった。
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# by asirope3 | 2010-10-18 00:52 | ベトナム
 ホーチミン市という名前は、北ベトナム軍が南ベトナムを制圧し、ベトナム戦争が終結したときに旧称のサイゴンから改められたものだ。しかし南ベトナムの人々は今も、この街をサイゴンと呼ぶ。古い呼び名に人々が愛着を持っているというだけではなく、南北ベトナム間に埋め難い溝があることもこの背景の一つだ。
 今回の旅をしている間、ベトナムの人々がみんなこの街をサイゴンと呼び続けるので、僕にとってもいつの間にかホーチミンよりサイゴンと呼ぶ方が自然になってきた。

 このサイゴンの街の中で、バックパッカーが多く集まるのは、ファングーラオ通りという道沿いのエリアだ。細い路地が入り組んだ一帯に、無数の宿と旅行代理店がひしめき合う。そして僕にとって非常に興味深いのは、ここが旅行者向けのエリアであると同時に、普通のベトナム庶民の生活の場でもあるということだ。
 メコンデルタから戻ってきてから、カメラを手にこの一帯を歩き回った。

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 ベトナムの人々の表情は活気があって魅力的だ。このファングーラオの一帯でも、少し歩き回るだけで、あるいは歩きさえせずに立ち止まっていても、細い細い路地を行き交うベトナムの人々を次々とみることができる。
 ここに見られる風景はアジアの原風景と言えるものかもしれない。しかし同時にこの風景をじっと見つめていると、ここに立ちこめる貧しさにも気付かないわけにはいかない。
 初めはこの地域が特に貧しい人々の集まる地域なのかと思って、他の地域も気を付けて見ていたけれど、どうやらこれがベトナムの標準であるらしい。ベトナムで経済の中心地と言われるサイゴンでもそうなのだ。
 写真を撮るためにここの人々を直視することは、同時に自分の狡さや後ろめたさと向き合うことでもあった。
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# by asirope3 | 2010-10-17 13:54 | ベトナム
 ホームステイ先からヴィンロンの街に戻ると、そのままバスターミナルまで歩く。次の目的地は、少し迷った末に、いくつかある候補地の中からチャ・ヴィン(Tra Vinh)という街に決めていた。ところがバスターミナルに来てみると、チャ・ヴィン行きのバスはここからは出ておらず、「もう一つの」バスターミナルに行かないといけないよ、とバイタクの運ちゃんが嬉しそうに教えてくれる。あそこか!
 仕方ない。またバイタクに乗って例のバスターミナルに移動した。

 着いてみると、ちょうどチャ・ヴィン行きの乗合バンが停まっている。これに乗り込んで出発を待った。
 アジアでは、こういう乗合バンは満員になるまで出発しないこともあるので、しばらく待たないといけないのかと思っていたけれど、運良く10分ほどで出発。ラッキー、と思っていたら、何のことはない、バスターミナルから10分ほどのところで道端に停まり、そこで客が集まるのを待ちはじめた。
 それほど追加の客も来なかったけれど、20分くらいでとりあえず出発。途中でときどき客を拾いながら、おんぼろバンはガタガタ道を飛び跳ねながら走っていく。

 ヴィンロンからチャ・ヴィンまでは約2時間の道のり。1時間ほどたったところで、道端の一軒の店の前で休憩。2時間なんだから一気に行けばいいのにと思うけど、ここはベトナム。まあ、東南アジアで慌ててもいいことは何一つない。

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 チャ・ヴィンに到着して、バスターミナルからホテルのある街の中心部に歩こうと地図を眺めると、どうも様子がおかしい。周りに集まってきたバイタクの運ちゃん達が、しきりにバイクに乗れと言う。ここでもまた、であった。ガイドブックに乗っている、街の中心部に近いバスターミナルではなく、今回も街外れにあるもう一つのバスターミナルに到着していた。この日二度目のバイタク。

 チャ・ヴィンの街はクメール系(カンボジア系)の住民が多く、クメール様式の仏教寺院もあるということだったので来てみた。ホテルにチェックインするととりあえず街の観光案内所へ行ってみた。ところがこれが閉まっている。あれ?と思ってガイドブックをよく見ると、どうやら昼休みらしい。もう少ししてから戻って来ようと、とりあえず僕もご飯を食べ、街の中心部にあるクメール寺院の一つに行ってみた。

 確かにクメール様式。異存はない。でも、何だか普通に寺があるという感じ。タイと違ってベトナムではこの様式の寺院は他では見られないので、そういう意味では独特だけど、どうもインパクトを感じない。疲れが溜まってきているのか、見ているこちらの気持ちがついていかない。

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 時間も経ったので観光案内所に行ってみたけど、まだ閉まっている。そんなはずは無いのに、と思っているうちにふと思い当たった。今日は土曜日だ。週末は休みなのかもしれない。旅行代理店が開いていれば一日ツアーに参加しようとおもっていたけど、それができなくなってしまった。

 一度ホテルに戻り、バスの時間を確認する。メコンデルタでもう一箇所行ってみたい街があったので時間を調べてもらうと、何と朝の6時出発の一本のみとのこと。そんな時間のバスに乗るほどの気合いもない。途中の大きな街でバスを乗り継ぐことも考えたけど、今ひとつ気分が乗らない。
 少し旅の疲れも出ていたので、ここは思い切ってメコンデルタの旅を切り上げて、ホーチミンに戻ることに決めた。
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# by asirope3 | 2010-10-15 12:32 | ベトナム
 ホームステイ先の家は簡素ながらもかなり大きなところだった。メコンの中州に建つ民家で、中国式の大きな祭壇があるのが目を引く。

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 広い庭には木や花をたくさん植えている。そういえば庭の全景を撮るのを忘れていた。

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 ご主人はディンさんという35歳のベトナム人。可愛らしい奥さんと二人でここを経営している。ベッドも20台くらいあり、まだ増やそうとしているようだったけれど、この日の客は僕一人。もともとメコンデルタを訪れる観光客の多くがホーチミンの旅行代理店で手配してホーチミンから近い場所を中心に訪れる上に、今は雨季で観光客も少ない時期だし、ここに泊まる客が少ないのだろう。

 到着した日の夕方になって、空に随分黒い雲が現れた。明日は雨が降るのだろうかと宿の主人に聞いてみると、降るのは今日のうちで、明日は晴れるよとのこと。それから30分もしないうちに、ほんとに雨が降り出したのには驚いた。田舎というよりも天然自然のままの島に突然家を建てたような場所なので辺りは日が暮れると真っ暗になる。他に音を立てるものも無い場所なので、そのなかで強い雨音がバチバチと鳴ると、家の簡素さも手伝ってちょっと不安を覚えさえする。雨は夜半まで降り続き、雨音を聞きながらこの日は寝た。

 朝起きると快晴ではないけれど天気は良くなりそうな空模様。この日は朝からちょっとした観光ツアーが組まれていて、早い朝食を済ませるとすぐにボートに乗ってカイベ(Cai Be)というところの水上マーケットへ移動。ボートは今日も僕一人。写真を撮るのに周囲に気を使う必要もないので快適だ。

 30分ほど走ると水上マーケットに到着。もっと観光客向けの場所かと思っていたら、大きな船がそれぞれ特定の商品を大量に扱う、完全に地元の商人向けの場所だった。カボチャなどの野菜やランブータンなどの果物等、いろんなものを積んだ船がたくさん浮かんでいる。そしてその合間を、小さなボートが行き来する。

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 面白いのは、この水上マーケットがある場所の岸辺に教会が建っていたこと。不思議な組合せ。

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 水上マーケットの次は、「ポップライス」作りを見物。ポップライスというのは、早い話が日本で言うポン菓子だ。日本のように圧力窯に入れるのではなく、大きな鍋でポップコーンのように作るところは違っていた。籾殻の付いた米を鍋に入れるとどんどん弾け出す。

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 カゴに入れて籾殻を落とす。

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 サラサラタイプだけではなく、水飴を使って固めたタイプのものもあった。こちらは型に入れて圧力をかけて整形する。

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 この後は、来たときとは別の細い水路を通って宿に戻る。途中でメコン河の本流の一つを横断するところもあって、川幅がとんでもなく広い。メコン河は中国深南部にその源を発し、タイとラオスの国境を流れてカンボジアからベトナム南部に至る。タイ北部とラオスの国境ではそれほどの川幅もなかったけれど、ここまで来ると湖かと思う程に茫々と広がっている。

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 水路は水路で、こんなところに普通の生活をしている人々がいるのが不思議な気がするような、そんな場所。金子光晴の「マレー蘭印紀行」に描かれた風景を現実に目にしているような思いだった。

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 宿に帰ったらお昼ご飯。ご飯はディンさんの奥さんが毎回作ってくれるのだけれど、この日の昼ご飯はかなり気合いが入っていたらしい。普段ははにかんだ表情でどうぞと持ってくるだけなのに、今日は恥ずかしそうにしながらも「写真は撮らないの?」と聞いてくる。そう言われたら撮らないわけにはいかない。ディンさんの奥さん渾身の一品、魚の丸揚げ。

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 この魚、とてもおいしかった。この家では庭に池を掘っていて、そこを生簀にしている。調理する直前に池から取ってきていたので、新鮮そのもの。
 何かの瓜のような野菜のスープとご飯が添えられてきて、こちらも素朴な味ながらおいしかった。

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 この日も他に客はなし。寂しいと言えば寂しいけれど、ゆっくりした雰囲気の中で好きなように本を読んだり考え事をするにはちょうどいい。ダラダラと過ごし、夕食を食べてこの日も寝た。

 翌朝は予定より少し早く迎えのボートが来たので、慌しく出発。ゆっくりと時間の流れる、不思議な場所だった。
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# by asirope3 | 2010-10-11 21:09 | ベトナム